2022.2.24 虎ノ門ニュース・世界に誇れる日本人たち

■1.堀口くまいち

 メキシコから表彰される。長岡藩、父戦死、母の手一つで育てられ、東大法科トップ合格。外交官。子供が詩人の堀口大学

 メキシコ大統領に対するクーデターが起こり、大統領が殺される。妻と子供が日本大使館の保護を求める。軍勢に対して、こう立ちはだかる。「大統領夫人と子供を殺したいなら、その前に私を殺せ。そしてこの日章旗を踏みつけ乱入するがいい。その代わり、日本は決して絶対に君たちを許さない。その覚悟でやれ。」(日本人個人としての気概、気迫があり、日本国家に対する誇りがあり、日本国家もそうした日本人を大事にするという信頼感があった、ということだ)

 今の外交官はまったく違う。暴徒が来たら、中に入れるだろうし、危険がせまったら真っ先に逃げる。つい先日のアフガニスタンの際も、自分たちだけが真っ先に逃げ帰った。自分たちを頼る日本人たちの命なんか知ったこっちゃない、という精神の持ち主ばかり。

■2.小栗忠順

 幕臣勘定奉行の時に、横須賀に製鉄・造船所を作り、今の横須賀基地につながっている。この造船所を作った時に、社内教育、洋式簿記、月給制、残業手当等を始めている(江戸時代)。しかも、株式会社を始めている。渋沢栄一よりもずっと早く。商社も作る。資本を集中し、大きな資金を動かすことが大事。それによって欧米に対抗していく。米国造幣局員が、小栗の正確さと計算の速さに驚愕。横須賀造船所で作った艦隊がロシアのバルチック艦隊を粉砕する。商社を設立し、外国の武器を輸入して、解析、国産の武器製造会社を作る。優秀すぎて、薩長・米国から恐れられた。(有無を言わさず処刑・抹殺)

■3.柴五郎

 会津藩士の5男として生まれ、戊辰戦争で、敗れ、青森で窮乏生活。「死んではならん、生き延びることが薩長への抵抗だ」才能を見出されると、その後は、根性が違うため、瞬く間に出世。清国・義和団の乱のときに、駐在武官として着任。外国を排除しろという思想集団。1900年6月、北京に20万人の義和団乱入。ドイツ公使を殺害。西太合が反乱軍を支持。欧米に宣戦布告。8か国連合は2か月耐える戦略。欧米の武官は頼りにならず、日本兵が一番強く、やがて日本の柴五郎の下に頼ってくる。日本兵は鬼神のようだ(欧米大使館)。イギリス公使・マクドナルド。「日本人はすごい。私たちが助かったのは日本人のおかげだ。」マクドナルドはその後、駐日公使、大使になって、日英同盟締結を推進していく。

■4.高橋是清

 13歳の時に藩命で米国に渡るが、騙されて奴隷にされる。何とか帰国して、今でいう文部省に入る。今の開成高校の校長に就寝し、英語を教える。生徒に、正岡子規秋山真之。日銀副総裁の時に、日露戦争。戦費を集めるために欧米で交渉しまくる。ジェイコブ・シフ(ユダヤ人、ロスチャイルド系)とも知己を得る。この時の返済は86年かかって、全額返済(昭和61年)。その後、何度も金融恐慌に見舞われるが、対応し、世界に先駆けて復活。6回目の大蔵大臣時代に、軍事予算を削減したことをきっかけに2.26事件で暗殺。

■5.根本博中将

 北中国方面軍司令官。敗戦時、武装解除命令を受ける。しかし、命令に背く。「上官の命令には従うのが筋だが、軍人の本分は、国民の命を守ることにある。4万人の在留邦人がいる。武装解除すれば、ソ連は4万人の日本人を殺戮するのは明らかである。」再三の命令にも関わらず、日本人を守りながら、中国蒋介石に話を付け、日本人の帰国を実行した。

 昭和24年(1949年)中国内戦で蒋介石が台湾に逃げる。恩義を感じていた根本は家族にも誰にも言わず、台湾に密航する(釣りに行く格好で)。奇跡的に台湾にたどり着くが、2週間の航海で初老のひげぼうぼうのみすぼらしい爺は投獄されてしまう。蒋介石を助けに来たという、汚い日本人のうわさがだんだん広まり、劉鮮明という警備長の耳に入る。彼は、日本人の帰国を助けた窓口で根本の人柄もすべて知っており尊敬していた。まさか、と思いながら、彼は根本のもとに行く。丁重に迎え、手を取って泣き崩れた。「根本先生が、自分たちと一緒に死にに来てくれた」

 金門島の戦い。金門島は、ほぼ中国。中国の内湾に浮かぶ小さな島。今も台湾の領土。台湾というか蒋介石の命は風前の灯火。船で1回に2万人の中国共産党軍が上陸する。往復することで20-30万人の兵が上陸する。こうなってはどうしようもない。そこで、根本は抵抗せずに2万人を上陸させ、船を燃やしてしまう作戦を実行。こうして蒋介石軍vs2万人の共産党軍の戦いにもっていく。「アモイを捨てなければ、金門島が落ちる、金門島が落ちると台湾が落ちる」「住民を捨てれば、大義がなくなる」