2019.02.02 「武井壮」の話

■不安がモチベーション。

 幼少時に離婚、父が親権をとったが、別に家庭を持った。いつも兄と二人で暮らしていた。電気も水道も止まった。なので、お金を稼ごうと思い、勉強もスポーツもみんなに負けたくなかった。勉強も一番で、中学、高校、大学と特待生。自分の体を思ったように動かせるので、見ただけでできるようになる。

■貧乏

 小さい頃から、貧しくてお金を稼ぐことを考えて実行してきた。例えばごみを家の前に出せば、収集場所に持っていく。500円。150件で7万5000円稼いでいた。お金がなくても何とかする、の繰り返し。中高は野球。空手、柔道、ボクシングなども。大学で法学ともう一つ卒業している。教員免許。

■身体コントロール

 学生時代にいっぱい体の本を読みつくしていた。大学の途中から陸上競技を始めて、2年で十種競技の日本チャンピオンになった。大学卒業とともに陸上をやめて、ゴルフをやろうとアメリカへ。アメリカのゴルフ中に鹿に会って「やられる」と思って衝撃をうけた。それから、動物をどうやったら倒せるかを考え始めた。日本では車暮らし。芸人の話術がすごいと思って、交わり、テープにとって研究した。毎日やる。日本一やる、成長のために。クリケット27億円契約。世界最大の競技。台湾プロ野球のコーチ。鹿取コーチに認められる。各プロ選手のコーチ。欽ちゃん野球合格。130㎞。

■体を動かす理論

 体を鍛える理論=小学生時代。思ったように思った通りに体を動かす理論。各スポーツの技術を取り入れればいいだけ。

 武井の話面白い、熱い。19-20歳の頃、思い出す。全ては、「意志」と「行動」からしか始まらない。

■世界の競技者、思いは、日本人には想像がつかない。

 武井が海外遠征の試合で優勝した時のレセプション。優勝インタビューで「いつもと違ってパンが固かった。好みの飲み物もなかったけど、今日はこの中の誰よりもいい記録を出しました。俺がチャンピオンです。」なんて、不満から始まることを話した。そしたら、ある選手がやってきて話しかけてきた。

「お前は食べ物の不満を言うほどのいい環境で過ごしている。確かにお前は今日はチャンピオンだ。けど人間としてはこの中の誰よりも最低だ。俺はユーゴスラビアからきている。どうしてこの競技をやってるか。俺が優勝争いをすれば、その時だけはみんなが銃を下ろしてくれる。そのためにやってるんだ。俺の妹は、戦争で両足を失った。でも、どんな食べ物であろうが、不満を言うことなく、笑顔でうれしそうに食べてくれる。」