山田五郎「大人の教養講座(ドガ)」プラス(ルソー)

印象派モネの友達。

 印象派の先生がモネ。それに心酔する弟子たち。言い換えると談志とその弟子たちという感じ。ドガは、談志の弟子ではなく、友達。たけし、的存在。

ドガ

 モネと違って、ドガは正統の画家エリート。デッサンがうまく、早い。そして、人工の光と人の動きを描くのが得意だった。他の画家と違って、珍しく絵画が人気で売れていた。家系もエリート。いろいろあって、フランスからイタリアに避難するが、そこで銀行業で大きくなる。フランスに帰って、父も画家を支えたり、芸術を支援していた。ある時、父が破産してしまう。莫大な借金をドガは引き継ぐことになる。ドガは借金を返済するために、油絵でなくパステル画に移行。さらに、道具を作り、人気の踊り子シリーズを大量生産する。数年で、借金を返済するほど。

■山田流、エロ話へ。

 面白いのはここから、山田のエロ話に移っていく。なぜか、踊り子の絵には、必ず不要と思える禿おやじたちが出てくる。この時代背景を説明する。最高峰のダンサーとはいえ、それだけで生活していくのは難しく、スポンサー、タニマチが必要。そして、劇場に出資してくれる金持ちたちが、見に来て、自分の愛人にしていく。踊り子たちも、いいパトロンを確保したいと、駆け引きをする。このドガ、純情でシャイボーイ。女性と話すのも苦手だった。しかしそうした踊り子たちを醜い禿おやじたちに凌辱されている現実が許せなかった。怒りとともに、エロにもだえ苦しむ。なので、必ず、禿おやじが出てくる。この絵が、この時代のエロとして人気だった。「美少女と醜い爺」というエロが、大衆の心をつかんでいた。現代日本のAVにもNTRというエロジャンルがある、と説明するのが面白い。

 また踊り子シリーズの視点は、覗きの視点。背中や足を描く。女性を正面から見れない。女性的なものに圧倒されてしまう、顔、胸、など。それがドガドガに屈折した性癖が現れている。

■ルソー。

 自称画家。遠近法が書けない。足が浮く。ヘタウマ。何年たっても上達しない。自分は大画家だと思い込んでいる。惚れやすい。葉っぱが異常に細かくうまい。絵が下手なので、ピカソと同じ天才だと勘違いされています。ピカソは、完璧な絵が描けるのに、だんだん崩していったのに対して、ルソーは、全て子供のような絵でまともな作品はありません。ちゃんと習ってなくて、勝手に書いて、自称で画家であると、本気で思っている人です。