2019.02.09 「悼む人」(天童こうた)高良健吾、石田ゆり子、大竹しのぶ、平田満、戸田恵子

■金子正利さん、に合掌。

 2/7(木)金子正利(元CSK)のお通夜に行った。2/2(土)に急性心不全でなくなったそうだ。自転車をやっているらしい写真がFBに載っていたことくらいしかわからない。ただ、1年か1年半くらい一緒に仕事をして、しょっちゅう飲みに誘ってくれてはしごしてた。タクシーで次の店、次の店に移動して、最後は西武線の野方付近のスナック行って朝まで。中国人、台湾人が好きだった。歌はフォークソング世代。3-4個上くらいなのだろうか。ずいぶんバカにした生意気なことを言わせてもらっていたが、怒らず、へらへら面白がってくれた。お世話になったのは確かだし、手は合わせたかった。

■「悼む人」(天童こうた)映画を見た。

 はじまりが独特で、なんやこれ、って連呼していた。気持ち悪い。変人である。何がきっかけ?どうしてそんな行動を?なんて思うようになって。キリストのような、ブッダの何回目かの人生で行っていたことのような、行動に見えてきた。

 主人公の静太は、自殺を考える代わりに、死んだ人が誰に愛され、誰を愛して生きてきたかを胸に刻む自分なりの儀式をやり続けていた。そうすることで、生きてる意味を見出し、それを続けるためには自分がいなくてはいけないと思うようになっていた。静太とその母親の苦しみの中から出す言葉に、人々が変わっていくのが、見えてくる。

 息子が殺された両親が「一緒に加害者を訴えてください」と頼む。静太は「そんなことをしたら、あなたたちの頭の中には、息子さんでない、加害者で、そして、恨み言で満ち溢れてしまう。」と語る。「そうではなく、僕は彼が誰に愛されて、誰を愛したかを胸に刻むことしかできないのです」と答える。

 両親は数年ぶりに、息子のさまざまを思い出し、語り合い、忘れていた笑いに気づく。人々がかたくなになって、大切な何かを見失って、もがき突っ張っていたのが、素直に、見方を変えられる柔軟さを取り戻していく。